二宮尊徳と報徳

二宮尊徳こと二宮金次郎は、江戸時代末期に関東から南東北の農村復興に尽力した人物です。

幼少期
足柄平野の栢山村(小田原市)の比較的裕福な農家の長男として誕生、幼少時から教養のある父に教育を受け、一方では優しい母の慈愛を存分に得て、幸せに育ちました。
しかし、不幸にして異常天候のため酒匂川の氾濫が度重なり、荒廃した田畑の回復もかなわず、父母は心身疲労で相次いで死去、一家離散という事態に陥りました。

家の再興
金次郎は伯父万兵衛の家に預けられますが、逆境にもめげず卓越した才能を発揮します。
作業の合間に、稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫、毎年その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後間もなく家の再興に成功しました。

財政再建・農村復興の道へ
その手法を生かし近親者の家政再建を行ったほか、奉公に出た小田原藩の家老・服部家で「五常講」という金融互助制度(のちの信用組合のはしり)をはじめ、服部家の立て直しを依頼されるなど、その才覚を表してきました。
やがて、そのすぐれた発想と実践力が小田原藩主・大久保忠真から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内である旗本の野州(栃木県)桜町領の財政再建を託されます。
600の村々で
金次郎はこれを契機に財政再建・農村復興の仕事にまい進することになります。
桜町領再建は苦節10年の難事業でしたが、その成功はたちまち近隣の注目を集め、諸領諸村からの仕法の要請が相次ぎ、復興事業や飢饉救済に多忙を極めます。
晩年には幕臣に取り立てられ、日光神領をはじめ一部幕府領の再建に総力をあげて取り組みますが、かたわらすぐれた弟子たちを介して、諸家、諸領の復興指導も続けました。

安政3年、70歳でその生涯を終えるまで、報徳仕法の手ほどきを受けた地域は600か村に達したといわれています。

報徳とは

二宮尊徳の思想や方法論を「報徳」と呼びます。
これは、「万物にはすべて良い点(徳)があり、それを活用する(報いる)」という彼の思想に対して、小田原藩藩主・大久保忠真公が「汝のやり方は、論語にある以徳報徳(徳をもって徳に報いる)であるなあ」とのお言葉をいただいたことによります。
これら「報徳思想」や「報徳仕法」は、尊徳の子孫や弟子たちに受け継がれ、広まっていきました。
渋沢栄一、安田善次郎、鈴木藤三郎、御木本幸吉、豊田佐吉といった明治の財界人・実業家や、松下幸之助、土光敏夫、稲盛和夫といった昭和を代表する経営者たちにも多大な影響を与えたといわれています。

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